ベトナム フエ

表紙


                      


 ハノイからバスに乗ってフエにたどり着いた。フエでツア−を申し込んで周辺を散策。この辺りはベトナム戦争でかなりやられた。当時の惨状は知る由もないが。ベトナム戦争を題材にとった戦争映画は多い。米国が全力を投じても潰せなかったベトナム。ベトナム旅行をしていて、どこにそんな粘り腰の力があるのかは分からなかった。ただその戦争の後遺症は今も残る。火薬の後遺症は時間とともに消えていくが、枯葉剤の後遺症は今も続いている。枯葉剤による奇形児は今も続いている。枯葉剤から除草剤と変転して、今も使われている。雑草材の効能書きを読むと、葉から吸収されて根も絶えたせるとか。地面に浸透した薬液は無害となるとか。私もたまに除草剤は使用するが、その効力は絶大、蚊も蠅も殺傷してまう。そんな殺傷能力をもつ薬液が地面に吸収されたら無害になるというのはちょつと信じられない。 そんなベトナム戦争の戦禍は20年以上経っても垣間見れた。このフエあたりは、当時焼け野原に近い状態になったのだろう。遺跡の各所にその名残が見られた。当時南北に分かれていたベトナムはその名残か同じベトナム人でも南北ではかなり違う。ハノイ周辺のベトナム人はやや保守的な地味な感じ。とはいえベトナム人だから旅行客の多い観光地ではたかりに会う。フエでも、しつこい子供の物乞いに辟易した。逆に一緒に同行したベトナム観光客に、なぜ恵んであげないのだとか、叱責気味の質問をされる。あなたが泊まっているホテル代は幾ら?だとか。物乞いの子供は、親に命じられてやっているのであろう。親が働かずに?子供に物乞いをさせているのであろう。物乞いといえば、20年前では、中国でも子供を抱えての物乞いが列をなして旅行客を待ち構えていたのを思い出す。子供を譲る、とか。今の中国では、そんな景色は見えないようで、その意味では中国もすばらしい国になったのかもしれない。バンコクの物乞いは凄かった。露店のベンチでちょつと休憩していると、2〜3人くらいは物乞いに会う。その中でも凄かったのは、両足が無く、両手で地面を這いずる物乞い。彼と視線を合せると、金を恵んであげない気持ちにさせる、凄い眼力を持っていた。見ていると移動スピ−ドも早い速い。みるみるうちに去っていく。 これは人に聞いた話で真実かどうかはさておいて、タイには物乞いの上場会社があるとか。物乞いは並のリ−マンの数倍は稼ぐという。会社に行くと、それらしい物乞いの制服が支給されていて、出社したらその制服に着替える。帰社したら元の私服に着替え車で帰宅。俳優みたいな仕事なのかもしれない。物乞いの上場会社があったかどうかは別として、物乞いの大きな組織はあるようだ。車で彼らを乗せて、物乞いの効率の良い場所に順番に下ろしていく。こんなかんじとか。こんな裏話を聞くと、迂闊に彼らに同情するのは正義かどうか。日本でも大昔は物乞いが我が家にもたまにやってきた。後、あわれみ押し売り。悲しい話をしてジンケンの着物を絹だとか言って売りつける。でもここ数十年は見たことがない。そのかわり、もっと悪質で巧妙なのかネットや電話でやってくる。

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